前回の記事では、育児や家族生活に全く関心のなかった夫の私が、転職や失恋などの失敗経験を通じ、31歳で家族と過ごすことの大切さに気付いたことをご紹介しました。
今回は前回の続き、育休を取得したきっかけの後半編をご紹介します。
失恋の後に度重なる失職、解雇やパワハラが転機に
その後、ライフキャリア重視の考え方を大切にしながら順風満帆にキャリア形成、というわけにはいかず、紆余曲折ありました(笑)
機会があれば「人生失敗談」のコラムでご紹介できたらと思いますが、かいつまんでお話すると、5社目の会社が2か月で会社都合による解雇、そして6社目の会社はパワーハラスメントに遭ったことがきっかけで9か月で退職。
この5社目と6社目の経験をきっかけに、「労働を通して人を救いたい」という思いを持ち、失業保険を活用し、社会保険労務士資格取得コースの職業訓練校に4か月通学しました。
通学中に社会保険労務士の講師の先生と今後のことについて話す機会があり、そこでキャリアコンサルタントという資格があることをはじめて知りました。
それをきっかけに、社会保険労務士への想いは薄れ(笑)、キャリアコンサルタント資格取得への思いが強くなったと同時に、可能な限り公的な立場でキャリア相談ができる仕事に関心を持つようになります。
起死回生の6回目の転職、7社目は大学キャリアセンター
そして33歳の時、ようやく自分の納得のいく仕事に就くことができました。
7社目は大学の事務職員で配属はキャリアセンターです。
採用面接で、これまでの失敗や負の経験を、学生のキャリア支援に役立てたいという気持ちを伝えたところ、その場にいた当時の理事長から評価いただき、採用に至りました。
大学キャリアセンターの求人の競争倍率は、正職員の場合、数百倍以上になることが多いにもかかわらず、その中で転職6回の人間が正職員として採用されたのは、まさに強運と言っても過言ではありません。
入職後、学生のキャリア相談やキャリア講座などの講義を行う傍ら、キャリアカウンセラーの資格を取得するべく、養成講座に1年間通学します。
思えば学生時代、勉強が大嫌いな私でしたが、養成講座通学中のキャリア理論の学習やカウンセリングスキル向上のためのロールプレイングは全く苦痛ではなく、むしろ楽しみながら習得することができました。
そして、この講座でライフキャリア理論というものを学びました。
この理論を学ぶことで、自分自身の過去のあらゆる経験が統合され、人生の意味づけができたこと、また、この考え方を学生さんのキャリア支援に活かせる確信を得たことで、雷に撃たれたような衝撃を味わったのを今でも覚えています。
35歳からの婚活、4年間出会いなしの恋愛不況
そして、仕事が軌道に乗りはじめ、生活も安定してきた35歳の頃、本気で結婚相手を探すべく、本格的に婚活を始めました。
これまでの私は、自分の容姿は棚に上げておきながら、容姿重視でパートナーを探していました(笑)
そのような探し方をしていたため、肝心のお相手の性格や価値観、人生を共有する家庭のあり方などを意識することはありませんでした。
しかし、失恋をきっかけに、結婚を前提としたお付き合いを重視するように。
いままで容姿だけにこだわっていた自分の考えを捨て、家族生活への共感に重きを置くように努めました。
そんな思いを胸に抱きながら、次こそはいい出会いをと思い、お見合いパーティやテニススクールへの入会、社会人サークルなど積極的にアプローチしたものの、結婚を前提とした良縁は生まれず。
活動を始めて数年後、「今やっている婚活は、結婚したいマーケットに刺さっていない」ということに気付きました。
結婚紹介所登録1か月後、今の妻と出会い、4か月で退会
そして婚活を始めてから3年が過ぎた38歳の誕生日、次のことを決意しました。
「39歳の夏までに結婚を前提とした方とのお付き合いがなければ、結婚紹介所に登録しよう」
実は35歳の頃、大学の同級生に沢山出会える結婚紹介所の活用をすすめられたのですが、「結婚紹介所に頼ったら負け」とプライドが邪魔をして、その時はスルーしていました。
しかし、38歳の誕生日の時点では、柔軟な考えを持てるようになったため、一度スルーした結婚紹介所への登録を視野に入れられるようになりました。
結果として39歳の夏、結婚を前提とした方とのお付き合いが叶わなかったため、迷うことなく結婚紹介所に登録。
そうしたところ、思った以上に紹介があり、登録1か月後に今の妻と出会い、わずか4カ月で退会しました。
35歳から4年間全く縁がなかったのに、結婚紹介所に登録したところ、たった1ヶ月で結婚相手が見つかるなんて。
あの時、情報提供してくれた大学の同級生、ありがとー!
第一子の誕生をきっかけに、仕事や家庭への向き合い方が大きく変化
妻との出会いから10か月後に結婚、その2年後に第一子(長女)が誕生しました。
私たち夫婦は、ともに正社員のいわゆる共働き夫婦ですが、この時は妻が育休を取得し、夫である私は育休を取得しませんでした。
いま思えば、ここで私も育休を取得すればよかったのですが、当時は同じタイミングで異動と昇進が重なったこと、また本当の育児の大変さを実感していなかったこともあり、夫である自分が育休を取得するという方向へ意識が向かなかったように思います。
それでも、ライフキャリア重視の考え方は変わらず、限られた時間で最大の成果を出すことを目標に仕事に注力。
当時の職場がコスト削減の一環で残業抑制に力を入れていたため、定時退社が続いても険悪な雰囲気にはならず、私にとっては追い風に。
子どもの寝顔ではなく起きている顔を早く見たいという思いもあり、定時から逆算してタスクを設定、何が何でも定時に帰る意気込みで仕事に臨み、大半は定時に帰ることができました。
自分の時間がたっぷりあった独身時代は、飲み会や合コン以外の日は終了時間を逆算して仕事をする機会は少なく(笑)、どちらかといえば「仕事が一段落したら帰ろう」という考え方でした。
しかし、家庭を持ち、自分の時間が家族の時間に代わってからは、「定時に仕事を終わらせる」「家族との時間を楽しむ」という考え方に変わりました。
この考え方を習得できたのは、私にとって大きな収穫でした。
最も大きかったのは、職場での仕事や家事、育児において、仕事の重要度と緊急度を客観的に見られるようになれたことです。
それにより、それまで当たり前のように取り組んでいたコストパフォーマンスの低い仕事を削るなど、プチ働き方改革を実行しました。
夫婦で育児の大変さ、子どもと関わることの重要性を実感
こうして仕事を早く終わらせ、自宅に帰ると妻が出迎えてくれました。
第一子誕生後しばらくは、育休取得中で専業主婦状態の妻に家事も育児も任せっきりで、妻の育児疲れが顕著に。
また、妻は完全母乳育児のため、日中も夜間も3時間ごとに授乳し、慢性的な睡眠不足に陥っていました。
その上、時間をかけて子どもの寝かしつけを行っている妻の様子を見て、私が代わりに寝かしつけを行うことにしました。
しかし、これが大変。
抱っこで揺らさないと眠らない子のため、抱っこでの寝かしつけが必須。
眠った様子を確認してベッドに置くのですが、ベッドと子どもの間から手を抜いた瞬間、かわいい寝顔が苦渋の表情に変わり泣き出し、再び最初からやり直すこと数回。
この寝かしつけに1時間以上かかったこともしばしばありました。
寝かしつけに成功した時は、ホッとしたと同時に「お願いだからそのまま眠ってますように」と祈り、後ずさりでその場を去りました。
残念ながら祈りが叶わなかったこともありましたが(笑)
他にも様々な大変なことがありました。困ったときは、夫婦だけで抱えずにお互いの親や友人知人に相談することもありましたが、いま思えば、もっと多くの方に相談すればよかったです。
自戒を込めて、このような記事も作成しましたので、よかったらご覧ください。
https://careerrecover.com/worried-childcare/
この記事を読まれた方の中には「なんだそんなことで」と思われる人もいることでしょう。
でも、当時の私たち家族はこれでも一杯いっぱいでした。
このように日々の育児が大変だった一方、日に日に子どもが色々なことができるようになっていくのを夫婦で目の当たりにして、喜びを感じるとともに、子どもの成長に関わっていくことの重要性も実感しました。
これらの経験を通して、第二子を授かることがあれば、育児休業を取得しようと考えるようになりました。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
次回に続きます。